アナコンダマックス、TTD、モンゴリアンチョップ、ダイビングヘッドバット、アナコンダバイス、ムーンサルトプレス
学生時代からボディビル、バスケットボールで鍛え、新日本プロレスが立ち上げた「新日本プロレス学校」に入門。91年1月11日、今冶市公会堂における松田納(現:エル・サムライ)戦でデビュー。93年に行なわれた第4回「ヤングライオン杯」で見事優勝し、6月にヨーロッパ修行へ。95年1月に凱旋帰国し、蝶野正洋、ヒロ斎藤と狼群団を結成。97年にはnWoジャパン入り。99年1月4日、小島聡とのテンコジタッグで第36代IWGPタッグ王座に輝く。00年には、蝶野率いるT2000の一員となる。01年12月の「G1 TAG LEAGUE」では、小島とのコンビで初優勝。02年1月、小島の新日本退団に伴い、テンコジタッグを解消する。03年6月10日、IWGPヘビー級王者の高山善廣に敗退したのを機にカナダ遠征へ出発。8月の「G1 CLIMAX」では、新技アナコンダバイスでプロレスリング・ノアの秋山準を撃破し、悲願の初優勝。11月3日、高山を下して第33代IWGP王者王座に輝く。11月には、西村修とエントリーした「G1 TAG LEAGUE」で優勝。04年2月15日に行なわれた「IWGPヘビー級王座決定トーナメント」を制し第35代王座に就く。8月の「G1」では、決勝戦で棚橋を下し連覇を達成。04年12月12日、佐々木健介を破り、第40代IWGP王者となる。05年2月20日、「IWGPヘビー級・三冠ヘビー級 ダブルタイトルマッチ」で小島に敗れるが、5月14日に小島にリベンジし、IWGP王座に返り咲く。10月30日、蝶野との蝶天タッグで、自身5度目となるIWGPタッグ王座を獲得。06年8月の「G1」では、全勝でリーグ戦を勝ち抜き、決勝戦で小島を下して3度目の栄冠を掴む。その後、蝶野と決別し、10月には真壁刀義らとヒールユニットG・B・Hを結成。11月には小島とのテンコジで全日本プロレスの「2006世界最強タッグ」に出場し、見事優勝。2007年1月4日、テンコジとして蝶野&武藤敬司と激突。10月8日の後藤洋央紀戦以後、負傷欠場するも、08年2月17日に復帰するもG・B・Hを追放される。3月9日、G・B・Hに袋叩きにされていたところを飯塚高史に救出され、後に“友情タッグ”を結成。G・B・Hとの抗争を開始し、4月27日大阪府立体育会館で真壁、矢野の持つIWGPタッグ王座に挑戦。だが、飯塚のまさかの裏切りで王座戴冠ならず。以降、飯塚とは因縁関係になる。7月8日、飯塚とのランバージャック・デスマッチに勝利。10月13日、チェーンデスマッチで飯塚に敗退。11月5日、小島とのテンコジで真壁、矢野を破り、「G1 TAG LEAGUE」V2を達成した。2009年より長期欠場。2010年11月の「NEVER.4」にて復帰を果たした。
14年4月6日両国大会で、小島聡ともに、当時王者のロブ・コンウェイ&ジャックス・ダン組みに挑戦し、天山がジャックス・ダンをムーンサルトプレスで沈め、NWA世界タッグ王者となった。
10月13日両国大会でランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr.の挑戦を受けるが、激闘の末最後は小島がキラーボムの前に沈み、王座から陥落した。
15年2月14日仙台大会でロブ・コンウェイの持つNWA世界ヘビー王座に挑戦し、最後はムーンサルトプレスでコンウェイを下し、NWA世界ヘビー王者となった。
17年3月6日大田区大会で矢野&石井組が持つIWGPヘビー級タッグ王座に小島聡と挑戦。小島がラリアットで矢野を沈め、第74代王者となった。
4月9日両国国技館大会、5月3日福岡国際センター大会で、小島聡とのタッグでレイモンド・ロウ&ハンソン組の持つIWGPタッグ王座に挑戦するも王座奪還はかなわなかった。