GTR、昇天、昇天・改、裏昇天、牛殺し、後藤式、昇龍結界、特攻ラリアット
2002年4月に新日本プロレスへ入団するが、ケガにより一時離脱。11月の入門テストに挑戦し、再合格を果たす。
2003年7月6日、岐阜産業会館における田口隆祐戦でデビュー。
2005年3月の「ヤングライオン杯」で優勝したのをきっかけに、ヒールユニットC.T.Uに加入。
5月14日、稔とのタッグで金本浩二&井上亘を下し、第15代IWGP Jr.タッグ王座に輝き、12月23日には棚橋弘至の持つIWGP・U-30無差別級王座に挑戦。
C.T.U加入をきっかけに頭角をメキメキと現す。
2006年4月23日(現地時間)、稔、ブラック・タイガー(4代目)とともにTNAに参戦。自身初となる海外での試合を経験。
7月30日に開催された「C.T.U 2nd Anniversary」を最後に無期限のメキシコ遠征へ出発。
2007年3月4日(現地時間)、メキシコのアレナ・コロッセオで開催された闘龍門MEXICO自主興行「YAMAHAカップ NWAインターナショナルJr.チャンピオンシップトーナメント」にエントリーし、決勝戦でショッカーを下して第18代NWAインターナショナルJr.ヘビー級王座に輝いた。
8月21日、約1年のメキシコ遠征から帰国し、ヘビー級転向を宣言。
8月26日、C.T.U解散興行「LAST OF C.T.U」にて、稔、ミラノコレクションA.T.、プリンス・デヴィット、そして中邑真輔との共闘を選択し、RISEを結成した。
9月シリーズでは、飯塚高史、山本尚史らを退け、10月8日にはかつて付き人を務めていた天山広吉を撃破。
11月11日、棚橋の持つIWGPヘビー級王座に初挑戦を果たす。
2008年1月4日、武藤敬司の悪の化身であるグレート・ムタとの初一騎打ちが実現。8月には「G1 CLIMAX 2008」優勝決定戦で真壁刀義を下し、初出場・初優勝の快挙を達成。
2009年3月、「NEW JAPAN CUP 2009」を制覇。
2010年3月、「NJC 2010」を制覇し、史上初の2連覇を成し遂げた。
2011年3月より、1ヶ月間のメキシコ遠征に旅立ち、心機一転。入場曲を変えて、新生・荒武者をアピール。
2012年2月12日、田中将斗を破って第3代IWGPインターコンチネンタル王座に輝く。同年4月8日、「NJC 2012」決勝戦で棚橋に初勝利し、史上初となる3度目の優勝を飾る。
2013年8月7日、棚橋弘至との「G1 CLIMAX 23」公式戦で、アゴを負傷し、長期欠場。
2014年1月4日、東京ドーム大会で、“盟友”柴田勝頼との試合で復帰した。
2016年2月11日大阪府立体育館大会・IWGPヘビー級選手権試合で、オカダ・カズチカに挑戦するが、ベルト奪取ならず。
IWGP王座には8連続の挑戦失敗となり、失意の状態に。その後、オカダから「CHAOS入り」を執拗に求められ、何度も断り続けていた。しかし、同年3月12日青森大会の「NEW JAPAN CUP 2016」優勝決定戦で内藤哲也に敗れたあと、リングインしたオカダと握手。事実上の「CHAOS入り」が確定となった。
2017年1月4日東京ドーム大会で柴田勝頼の持つNEVER無差別級王座に挑戦。見事な猛攻で勝利し第15代王者となる。
その後、2月2日北海道・北海きたえーる大会でジュース・ロビンソン、2月27日後楽園ホール大会でパニッシャー・マルティネス、4月9日両国国技館でザック・セイバーJr.を下し3度の防衛を果たす。
4度目の防衛戦となったのは、4月27日広島グリーンアリーナ大会・鈴木みのるとの一戦。鈴木軍の介入、鈴木の猛攻に敗れ防衛はならなかった。
再び6月11日大阪城ホール大会では、“ランバージャックデスマッチ”(リングアウトした際セコンドが選手をリングに戻す)ルールでNEVER無差別級王座に挑むも、鈴木軍の連携に翻弄され王座奪還ならず。
18年1月4日東京ドーム大会で、お互いの髪の毛を賭けた“敗者髪切り&ノーセコンド・デスマッチ”で鈴木みのると再戦。激しくぶつかり合う闘いとなったが、得意技の連携で鈴木を下し、第17代NEVER無差別級王者に返り咲いた。
2月5日後楽園ホール大会で、オカダ・カズチカと組み、SANADA & EVIL組の持つIWGPヘビー級タッグ王座に挑む。
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