ピンプジュース、マイアミ・シャイン、東京ピンプス、インカレスラム
高校時代にレスリングを始め、日本体育大学に進学。全日本学生選手権グレコローマン84キロ級王座に輝く。03年11月、新日本プロレスの入門テストに合格。04年7月26日、後楽園ホールにおける山本尚史戦で、裕次郎としてデビューする。05年11月からアゴの負傷で欠場していたが、06年3月より戦線復帰。5月7日、ZERO1-MAX(現ZERO1)との対抗戦に抜擢され大活躍する。07年3月、サムライジムに入門。サムライ会長の下、更なる飛躍を目指して鍛練し、5月22日にはIWGP Jr.ヘビー級王座に初挑戦した。6月には「BEST OF THE SUPER Jr.」に初出場し、同大会優勝者となったミラノコレクションA.T.にリーグ戦で勝利した。08年2月、内藤哲也とNO LIMITを結成。9月にはプロレスリング・ノアに殴りこみ、金丸義信&鈴木鼓太郎の持つGHC Jr.ヘビー級王座に挑戦した。10月13日、両国国技館にて稔&プリンス・デヴィットを破り、第22代IWGP Jr.タッグ王者に就く。12月7日、邪道&外道を相手に同王座の初防衛に成功した。09年1月4日にモーターシティ・マシンガンズ(アレックス・シェリー&クリス・セイビン)に敗北し王座陥落。その後、内藤とともに海外遠征に出発。CMLLでルード(悪役)としてブレイクし、ヘビー級へ転向。10年1月4日東京ドーム大会で、ブラザー・レイ&ブラザー・ディーボン、ジャイアント・バーナード&カール・アンダーソンとの3WAYハードコアマッチ戦を制し、内藤と共にIWGPタッグ王者に輝いた。同年2月、リングネームを本名の高橋裕二郎に改名。同年5月3日福岡で、バーナード&アンダーソン、永田裕志&井上亘を相手に3WAYマッチでIWGPタッグ防衛戦を敢行。しかし、井上がアンダーソンをフォールして王座から陥落。そこからこの2チームとの抗争が始まり、中でも日体大の先輩である永田との確執が表面化。そんな中、3月の「NEW JAPAN CUP」で永田からシングル初勝利をあげた。しかし、NO LIMITとしてのタッグ王座奪還は果たせないまま時が過ぎ、次第に内藤との関係が悪化。11年5月26日後楽園でついに空中分解を起こし、邪道&外道&田中将斗のコンプリートプレイヤーズ入りを表明。同年6月18日大阪で内藤とシングル対決を行ない、快勝を収めた。
当時は、「…これマジ!!」の決め言葉や下ネタを散りばめたマイク、アダルトな女性を連れての入場など、CHAOSの“R指定”キャラとして、活躍していた。
14年5月3日「レスリングどんたく2014」でIWGP選手権試合に乱入し、王者のオカダを襲撃。CHAOSを裏切りるかたちでBULLET CLUB入りを表明。
14年6月29日、後楽園大会で石井の持つNEVER無差別級王座に挑戦し、BULLET CLUBの介入もあり、最後はマイアミ・シャインで石井をリングに沈め、第4代NEVER無差別級王者となった。同年10月13日、両国大会で、石井の挑戦を受け、激闘末最後は石井の垂直落下式ブレーンバスターの前に沈み、王座から陥落した。
16年1月4日『WRESTLE KINGDOM 10』東京ドーム大会でバッドラック・ファレ&タマ・トンガとともに初代NEVER無差別級6人タッグ王座決定戦に挑むも、矢野通&ジェイ・ブリスコ&マーク・ブリスコに敗れ初代王座は逃すも、2月11日『NEW BEGINNING in OSAKA』エディオンアリーナ大阪大会で勝利し、第2代王者となった。
2月14日『NEW BEGINNING in NIIGATA』アオーレ長岡大会で、矢野通&ジェイ・ブリスコ&マーク・ブリスコに敗れ防衛はならなかった。
4月23日『Road to レスリングどんたく2016』後楽園ホール大会で、ケニー・オメガ&バッドラック・ファレとともに、棚橋弘至&マイケル・エルガン&ヨシタツの持つNEVER無差別級6人タッグ王座に挑むも敗れる。
17年1月4日『WRESTLE KINGDOM 11』東京ドーム大会でバッドラック・ファレ&ハングマン・ペイジとともに、小島聡&リコシェ&デビット・フィンレーが持つNEVER無差別級6人タッグ王座の4WAYガントレットマッチに挑むも王座戴冠はならなかった。